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テイクレートというのは例えば100売上があった際に企業が取っていく割合である。例えば決済代行をしている場合の決済代行会社の取り分の割合を示すときによく使われる。

 

このテイクレートはつまり間に入った会社の出しているバリューを表すものだと考えていい。メルカリだったら決済手数料がこのテイクレートになるが最初無料だったがあとで取り始めた。これはユーザーが増え、メルカリ自身の販促能力が高くなったから手数料を取れるようになった。

 

テイクレートは販促能力だったり、決済の利便性などによって変わるものである。

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こないだtwitterで夫が家庭の時間を確保するために効率的な仕組みを作ったのに労働時間が減ったことを理由に評価を下げられたという話を見て組織的に今まではそうなりがちだったよねという話と今後はこうしていきたいなと言う話。

 

昔の評価の仕方

 

サラリーマンへの評価って本当に難しく、総務など数字に現れないけどすごく会社にとって重要だよねって部署だったり上の決めた内容を遂行するのが職務でそれが成功するかの責任を取るべきではない人もいる。つまり結果と比例しない部署というのがある。(もしくは可視化できない)

 

例えばサラリーマンにも2種類あって

 

・マネージャーなど戦略の提案をする人間

・その戦略を遂行する人間

 

で前者は結果に対して評価が比例するべきだが、後者は戦略上の理由で結果が出なくても責任を取るべきではない。(今回は後者の人間の事をさして話をしていく。)そうなった時後者の評価は本当に難しい。結果で見ない場合、どうしても労働時間という一見がんばりが可視化されていそうな数字に目がいってしまう。労働時間で評価しがちなのは可視化できる努力を表す数字が労働時間ぐらいしか無いからだ。

 

これからはどう評価していくのがいいんだろう?

 

数値にだせないその人がどれだけ工夫したか効率化したかというのは人じゃないと分からない気がするので上下複数人に聞く形が今のところ一番な気がする。あと評価は正しくするのももちろん大切だが納得感が重要かなと考えていて誰か一人の評価ではなく皆の相違ということが重要そう。

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最近気をつけないといけないなと思うのは組織においてやらないという判断をすることも非常に重要だということ。やったことで評価されがちだけどやらないとしたこともちゃんと評価したほうがいいんじゃないかなと思う。会社で役割を与えられると人は何かをやろうとする。しかし、営業など直接的に成果をあげる部署でない例えば管理部門やバックオフィス系の職種が過剰にそれをやり、効率が悪く、優先順位の低いものまでし始めると組織の利益効率が落ちる。

 

それだけならいいが、現場が悲鳴をあげ組織が崩壊することもある。まず第一にそういった部門に過剰に人を入れないということを考えるべきだが業務量というのはいつだって人事より流動的であるためそれも難しい。人員が過剰になった時、ちゃんと組織全体のリソース量を考え、何をやらないというのを決めるのもりっぱな決断である。

 

でもなかなかこれを評価するのは難しいよなあ。。。

 

ちゃんと施策の効果を定期的に調査し、効率性を調べるというのはもちろんだがそれはあくまでやった施策に対してでやらなかったことによる効率性ではない。リソースあたりのその人の成果を出すべきなのかもしれない。しかしそうなると逆にそこの管理が難しい。人的リソースの場合、どこでどのリソースに割り当てられたとするかは定性的な部分も多い。

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キングダム熱くなりましたね。秦は法治国家として人の支配ではなく法での統治をときましたが、これ組織論に置いて結構重要な考え方かなと。リーダーもルールの元にはメンバーと同列として扱うかどうか。武田信玄もこれには悩んでいたみたいです。完璧に見える信玄ですが家督を継いだ当初は統率がままならず、家が乱れ、勝手に徴税する家臣もいた。そこで信玄が作ったのが法でここで面白いのが自分もこの法を破ったら同じように罰を受けるとしたことです。つまり自分も法の下にいると明記したのです。

 

チームの型によって変えるべき

 

コレとは違って人の下に人を置くのもありだと思います。つまりリーダーの言うことが絶対というチームです。こういったチームはうまくいけば柔軟に対応できます。ただし、そのリーダーに絶対的な信頼感があるという前提での話です。

 

気をつけなければいけないのが国も中間管理職も人は選んで集まっているわけではないということです。つまり、経営者で人がその人と働きたいからと集まってきた場合、リーダーに絶対的権力をもたせることは可能かもしれないですが、中間管理職などはメンバーが選べるわけではありません。会社に言われてしょうがなく配属されている人が主だと思います。そういった中では人の下に人を作る系の組織はなかなか機能しない気がします。たまたま気があって信頼されることはあるでしょうが。

 

ではルールの元に人を置くとした時、プロダクトを作るチームのルールは何かというとプロダクトの拡大です。そしてその拡大のための戦略です。つまりプロダクトマネージャーは戦略という法を作り、チームをその戦略の元で動かすのが一番多くの人ができることなんじゃないかと考えています。

 

カリスマ性なんて大抵ない

 

カリスマ性なんてものは大抵の人間にありませんし、メンバーとの相性もあります。戦略を制定し、その戦略にあっているかどうかで人を動かす。そしてその戦略に反することは自分ももちろんしないと言うのが重要。上司は勘違いしやすい。なぜなら部下がおべんじゃらを使うから。しかし、おだてるからといって本当に尊敬しているとは限らない。自分はカリスマなんかじゃない前提でチームは作るべきである。

 

 

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最近プロダクトマネージャーとは何なのかを考える機会があったのだが、マネージャーとマーケティングは分けるべきなのかいまだに整理がつかないのでちょっと書きなぐってみた。

 

マネージャーとマーケティングの定義

 

まず、前提としてプロダクトをつくる初期のチームであり、3〜5人ほどのチームを想定している。まだマーケットフィットしておらず、事業領域や方向性のみそこそこ決まっている状態であるとする。その前提でマネージャーをプロダクトを開発する組織の進行管理、チームの活動の方向性を考える役割、マーケティングを市場研究をし、製品の仕様、方向性を考える役割とする。つまり、マーケが作成した製品概要をどう具現化するかを考えるのがマネージャーという立ち位置。

 

分けた際の弊害

 

マネージャーは進行を進めていく中で細かい仕様の変更の決断を迫られる場合が多い。これはプロダクトの方向性を考えられる人間でないと判断が難しい。考えられなくてもマーケの考えたプロダクトを現在と未来の両方で高い解像度で解釈できていないと仕様の決断を行うことが難しい。これはマーケ本人である方が齟齬は確実に起きない。ここは分けた際のデメリットだと思う。

 

一緒の場合のデメリット

 

対して一緒の場合のデメリットはあまり思い浮かばない。あえて言うと下記

 

・他社の目を通していないので気をつけないと多面的でないかも。ただし、これはマーケとマネージャーで分けなくても第3者の意見を聞く機会を作ればいいし、そこまで重要ではない。

・単純に時間的にリソースが進行管理に偏りがち。正直マーケに割く時間はなあなあになりがち。進行管理は他社がいるし、その都度ある程度のリサーチと論理がないとメンバーにサボっているのがバレルがマーケは分かりにくい。最初にババっと調べてそのままになりがち。

 

まあ上記ぐらいしか浮かばないがどちらもそこまで重要ではない。と思う。

 

理想は一緒であること。しかし現実的には分けるべきか

 

正直、一緒にできるならマーケとマネージャーは一緒の方がいいと思う。ただし、この2つは全く違う能力のためこの2つを高いレベルで持っている人材って相当貴重だと思う。チームを考える上では分けたほうが現実的なきがする。